入管事件簿 '01

発生年月

発生場所

事件分類

内容

訴訟・告発等

出典

2001年

東日本センター

無期限・長期収容

3年間も収容され続けていたアルジェリア人がいた。現在は仮放免されている。

支援者からの報告

2001年3月19日〜5月31日

東日本入管センター

ハンガーストライキ

 2001年3月19日から5月31にかけて、クルド人男性難民申請者Aさんは、茨城県牛久にある東日本入国管理センターの入国者収容所内でハンストを続けた。彼は98年に超過滞在で警察に逮捕、99年4月から同センターに収容されている。ハンストは、

  1. クルド人への人権抑圧、
  2. 絶えず収容や強制退去の不安を抱えながら手続きを進行せざるを得ない日本の難民制度
  3. 入管施設への長期収容、
  4. 入管施設内の被収容者に対する人権や配慮の欠落

などに抗議するものであった。彼以外にも4人のクルド人やガーナ人も賛同して、ハンガーストライキを行った。

週間金曜日
西中誠一郎氏の報告

2001年3月30日

西日本入管センター

自殺未遂

無期限・長期収容

身体障害者の収容

ハンガーストライキ

中国人男性SYさんについては2000年の項も参照。

SYさんは左股関節が全く動かない身体障害者(4級)。

2001-06-05現在、収容が続いている。SYさんは、外科医の診断を希望して、これまでに少なくとも2回、ハンストをしている。

01-03-31には、ハンストにも関わらず願いが聞き入れられないことに抗議し、首吊自殺をはかるが未遂に終わる。

畳での生活は体に負担がかかるので、椅子、ベッドを要求したが、支給してもらえない。毎日畳の上で無理な姿勢をとらざるを得ず、おそらくはそれが原因で背骨(特に首の下と腰)の痛みを訴えている。

彼は2001-03-24頃からハンストに入り、外部の医者(西日本入国管理センターの「ご指定」は茨木第二警察病院)にかかることを要求するも認められず、ハンスト6日目(?)の2001-03-30未明、シーツを裂いて作成した縄(小指の太さ)2本をテレビがのっている台(?)にかけ、首吊自殺を図る(乗っていたテーブルを蹴るときの物音で目覚めた同室の者に気付かれて失敗)。

「西日本入管センター特別処遇担当」の職員Tさんは「人間の生命と健康を預かっている訳ですから」「そういう違反行為をすれば外部の医者にかかれると思われても困る」と発言する。 

  SYさんは、再三の要求にも関わらず椅子やベッドが支給されない畳生活を1年以上強いられており、現在収容所内で「ねたきり」となっている(マットレスはどうにか支給してもらえているのですが)。

 最近は腰だけでなく首筋まで痛み始めたということもあり、01-03-26の午前11時現在ハンスト(=4食抜き)により外部の医者にかかることを要求していたが、01-04-04午前中現在、その要求は実現していません(摂食は再開している様です)。

 西日本入国管理センターには、西日本の医者は1人です(内科医)。内科医1人、看護士(看護婦)1人です。

「湿布を出すだけだろう?あれが医者なら俺だって医者になれる。しかも最近湿布もあまりくれなくなったし」とはSYさんの言。

大阪地裁にて退令取消を求めて係争

支援者からの報告

福井新聞2002年1月21日 

2001年5月1〜7日
西日本入管センター

セクハラ、及び暴行

 ウガンダ人男性、ダカさんさんに対するセクハラ、及び暴行。

 男性は昨年4月に収容されたDさん(33)で、同7月に提訴した。訴えによると、Dさんは同5月に、センター内の廊下で警備官にジーパンの上から指でお尻を触られた。数日後、警察に連絡したいと求めると、一人部屋に移された。抗議するとさらに別の一人部屋に移され、その際に胸を足でけられるなどした、と主張している。

2001年7月16日に国家賠償請求で起訴

毎日新聞 2002年4月16日

ダカさんからの手紙(英文)

2003年1月21日[毎日新聞]   警備官暴行を認定 国に20万円賠償命令

 超過滞在で西日本入国管理センター(大阪府茨木市)に収容されていたウガンダ人男性、ダカ・サミュエルさん(34)が職員に暴行されたなどとして、国に200万円の損害賠償を求めた訴訟で、大阪地裁は21日、慰謝料20万円の支払いを命じた。山下寛裁判長は「入国警備官に正当な職務行為を逸脱した暴行があった」と認定した。ダカさん側は、国が控訴すれば、特別公務員暴行陵虐容疑で刑事告訴を検討するという。

 判決によると、超過滞在の疑いで同センターに収容されていたダカさんは01年5月、「職員から尻を触られた」とセクハラ行為を指摘し、大声で抗議したため「単独室」に隔離された。さらに、別の部屋に連行される際、強く抵抗したところ、8人の入国警備官らに取り押さえられ、下腹部への2度のひざげりや腰を数回殴られるなどの暴行を受けた。

 訴訟では、国側が当時の様子を撮影したビデオを証拠提出し、「正当な制圧行為だ」と主張していた。しかし、判決は「当て身と称してひざを2回落とすなどの行為は行き過ぎた暴行というべきで、制圧行為として正当化できない」と述べた。一方で、セクハラ行為の事実は認めず、単独室への収容にも違法性はないと判断した。

 ダカさんは95年9月に短期ビザで入国し、工員として働いていたが、00年12月に出入国管理法違反で愛知県警に逮捕され、有罪が確定した。01年4月から同センターに収容され、昨年7月に仮放免になった。収容中の01年7月に提訴していた。 

【山本直】

 西日本入国管理センターの石田正信次長の話 主張が一部受け入れられず残念。判決内容を検討し、控訴するか決めたい。

 

2001年5月14日
警視庁玉川署

警察での不審死

2001年5月14日警視庁玉川署で拘置中のイラン人男性が不審死。覚醒剤所持容疑で取調中。名前はホスロー・アハマド・ヴァンド39才。「職員による暴行はなかったと思うが、死因をくわしく調べている。」中野署の佐竹光栄副署長の話。

産経新聞2001年5月15日

2001年10月16日

暴力的取り扱い(梱包移送) 

 西日本入管センターで中国人男性劉濱徳さんは01年10月16日に、入管職員により毛布と縄で「梱包」された上で、入管職員が運転する「送迎車」の後部座席の下に押し込められ、入管職員2人の膝頭によって固定された上で関空に連行され、北方航空の沈陽行きのフライトに搭乗させられそうになりました。

 しかし「こんなの初めてだ。誘拐じゃあるまいし。もしこの人が機内で暴れたら日本政府や中国政府が責任を取るとでも言うのか。搭乗は許否する」ということで退令執行は不成功に終わりました。

 そのとき関空に駆けつけた中国の領事は彼の体に着いたキズを見て驚愕していたそうです。報告者もキズを現認しましたが、もう既にカサブタになっていました。

(以下2002年3月28日の朝日新聞)

西日本入管、人権侵害問うNGOの質問に「答えぬ」

 法務省の入国者収容所西日本入国管理センター(大阪府茨木市)で昨年10月に起きた収容外国人への人権侵害について、非政府組織(NGO)が事実や原因の究明を求める質問状を出したところ、同センターは理由を説明せずに回答を拒否した。NGO側は「行政の情報公開の流れに逆行している」と反発している。

 質問状は2月7日、「すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RINK)」と「NGO神戸外国人救援ネット」が、同センターの森園泰夫所長あてに出した。

 昨年10月16日、同センターが中国人男性を毛布と縄で縛って関西空港へ護送し、強制送還しようとした件について、毛布や縄を戒具として使ったか▽その法的根拠は何か▽戒具を使う必要性があったか▽拷問禁止条約上の拷問にあたらないか−などの内容。同月30日のベトナム人男性の自殺についても、なぜ男性を隔離収容したか▽拘禁性反応が起きないとだれが判断したか▽処遇規則にある毎日の運動はどうなっていたかと尋ねた。併せて収容者の人権保障や職員の研修、長期収容者の仮放免を求めていた。

 同センターの中田昭道次長は「NGOの申し入れは意見として参考にしたいが、組織の判断で回答しないと決めた」と話している。

朝日新聞2001年11月10日

朝日新聞2002年3月28日

支援者からの報告 

劉濱徳さんからの手紙

2001年10月30日
西日本入管センター

収容施設内での自殺

・2001年10月30日23:00頃:ベトナム国籍のベトナム人男性(年齢は27歳ぐらい)による首吊自殺。

 数人の警備官が駆けつけてきて胸部マッサージを施した。救急車で運ばれて行った。本人は恐らく既に死亡している。日本語も中国語も通じない人だった。テレビを支えている棒にタオルをかけて自殺した。同室の中国人と口論するのでB-3(独房)で生活していた。運動の時間も誰とも口をきかず、いつも隅っこで頬杖をついて座っていた。いつもおとなしい人(あるいは元気がない人)。本国から受け入れ許否されていた(あるいは自分が難民であることを主張していた)。西日本入管センターでは4カ月間(あるいは7カ月間)生活していた。

現在、部屋には白い布が掛けられていて内部は見えない。 

毎日新聞2001年11月7日

朝日新聞2001年11月8日

同室者の証言から

2001年10月

西日本センター

施設内の処遇改善を求める騒動

西日本の飯はまずくて(粗食)食えないとBブロックの中国人がいっせいに弁当箱の中身を廊下に放り投げて抗議するなど、こまかな事件はいっぱい起こっています。

支援者の報告

2001年11月14日
東京入管第二庁舎

自殺未遂

「収容不当」の訴え却下されたアフガン男性が自殺未遂。

 難民認定申請中に収容されたのは不当だと訴えたものの、東京地裁で退けられたアフガニスタン国籍の1人が自殺を図った。命に別条はないという。

 弁護団などによると、自殺を図ったのは20代後半のハザラ人男性。東京都北区の東京入国管理局第2庁舎にある収容場の雑居房で14日午前、20錠前後のに気づいた警備官が水を飲ませるなどの応急手当てをした。

 同日夕に接見した弁護士に「ここでは人間として扱ってもらえない。何を言っても信用してもらえない」と訴えた。

 この男性は、タリバーンから足に銃撃を受けるなど迫害を受けたといい、「助けてもらおうと思って日本に来たのに収容された」と嘆いている。

 弁護団は、この男性を含むアフガン人4人の収容を解かなかった地裁決定を不服として東京高裁に抗告しており、こうした経緯をまとめた報告書を同高裁に提出した。

 同入管は「日ごろから事故のないようにしており、特段の落ち度はなかった」としている。 

2001/11/16 朝日新聞

2001年11月ごろ

西日本センター

スタンガンの使用

西日本入管センターのB-11に収容されているペルー人男性が、居室のドア(あるいは居室の檻?)を揺すっていたところ、入国警備官から電気ショック棒で感電させられた。 

支援者からの報告

2001年11月5日〜

福岡入管

子どもの一ヶ月にも及ぶ収容

収容施設内で子どもに対する暴力的取り扱い

父親の無期限・長期収容

心臓病および障害をもつ女性の収容

 現在熊本在住の中国残留日本人孤児、井上鶴嗣さんの「配偶者の実子(妻の連れ子)」の二世帯、孫(潘)さん一家、関さん一家が収容された事件。

 身体拘束時の子ども達4名の年齢は、男児12才、男児17才、男児17才、女児16才。2001年11月5日より自宅にて摘発、身体拘束。福岡入管にて18日間収容。子どもおよび母親はいったん仮放免されるが、同年12月 福岡入管出頭時に再度身体拘束。福岡入管に11日間再度収容後、仮放免。子どもおよび母親、6名の収容期間は合計29日間に及ぶ。

 この二家族の在留が取り消された理由は、この家族が、鶴嗣さんと直接の血縁関係のない、「配偶者の実子(妻の連れ子)」の世帯であった事による。

2003年4月1日

退去強制令書 発付処分等取り消し訴訟一審判決「原告の訴え棄却」原告側敗訴。即日控訴。

2003年8月現在

  • 子どもたちは仮放免が続いている。
  • 現在退去強制処分取り消し訴訟控訴審で係争中。
  • 父親馬さんは仮放免が認められず、収容が続いた。馬さんの収容は1年9ヶ月になる。
  • 馬さんの度重なる仮放免の申請は、現在も認められていない。

「妻の子どもは、私の子ども、もう決して離れたくない。」2002年1月25日、強制収容問題を考え、子どもの学びと発達を守る熊本の会編

全外教のサイト関連ページ

2001年11月12日

仙台入管、八戸港出張所

強制わいせつ行為

入管出張所長を強制わいせつで逮捕

フィリピン人女性の胸触る−青森県警(時事通信社)

 在留期間の更新手続きに訪れたフィリピン人女性の胸などを触ったとして、青森県警八戸署は12日、強制わいせつ容疑で同県八戸市白銀町、仙台入国管理局八戸港出張所長佐々木薫容疑者(51)を逮捕した。 調べによると、佐々木容疑者は12日午前9時半ごろ、同出張所で20代のフィリピン人女性=同県十和田市=の胸や腹を触った疑い。佐々木容疑者は容疑を認めているという。

時事通信社

2001年11月12日

2001年12月〜2002年2月

東日本入国管理センター

難民申請者の無期限・長期収容

ハンガーストライキ

病人の収容

 東日本入国管理センターに収容中のアフガニスタン人男性Kさんからの手紙。

 2001年12月22日からハンガーストライキを始めた。12月28日になって、責任者が彼の居室に来て話をした。Kさんは「日本に助けを求めるために来た。ただちに解放するように」求めた。

 また手紙には同施設に収容されている仲間が、病気になり手当もせずに放置されていることが書かれている。 

アフガニスタン人難民申請者、Kさんからの手紙、2002年12月28日

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