入管問題調査会

元入管職員の証言 

内部告発に至るまで

カットAさん母校の担任

 「先生、たまらんよ。かなり、つらいよ。」という電話があったのは、1993年5月頃であった。電話の主・A君は、私が担任であったクラスの卒業生である。「仕事を辞めたい」などと弱音を吐くのは、彼らしくない。それだけに、精神的にも肉体的にも追いつめられていたのであろう。「寮の電話なので………」ということで、あまり詳しい話は聞けなかったが、職場の尋常ではない雰囲気が窺われた。A君は、その年の 7月に入国警備官の職を辞した。

 その後しばらく、A君からの連絡はなく、落ち着きを取り戻したのだろうと思っていた。(後で聞いたところでは、アルバイトや職探しで忙しかったらしい。)

 一方、この間に、私は人権交流集会等に参加する機会を得た。そこで滞日外国人がかかえる問題、とりわけ入管には人権侵害的実態があるのではないかという報告があった。あらためて、A君のことが思い出された。彼を追いつめていた職場の実態とは何だったのか。そして、収容施設の中では何が行われていたのか。彼から詳しい話が聞けないものだろうか。同僚のT氏とともに、彼に尋ねてみる事にした。

 A君は警備官を辞職してから一年以上の月日が経っており、当時のできごとを客観的に語ることができるようになっていた。彼の話は、「(収容場内で)人間を殴る音をはじめて聞きましたよ…」「日本に、こんな所があるなんて知らなかった」「自分自身、おかしくなりそうだった」等々。淡々とした語り口ながら、収容場での勤務が彼の心にどれほど大きな衝撃を与えたかが、よく伝わってきた。あるいは、この異常な経験に対し沈黙を続けることこそが、最大の苦しみだったかもしれない。彼は、自身が経験した事実のみを語り、そこには誇張も脚色も感ぜられなかった。彼の話を聞くと、入管は外国人労働者を「犯罪者」として扱い、収容施設は出国までの「牢獄」と化しているとしか思えない。人権に対する重大な、国家による犯罪である。この事実を知らなかったでは済ますわけにはいかない。私は、そのように考えた。マスコミの報道を通じて、A君は「収容場内で暴行を受けた外国人が、裁判をおこしている」ということを知った。しかし、収容場の中での出来事は関係者以外の者にはわからない。彼は「このまま真実が暗闇に葬られるのはあまりにひどい」と考え、1994年秋についに内部告発にふみきったのであった。「無駄なことをするな」といったような周囲の圧力があったと思うが、彼はその圧力をはねのけ、告発・記者会見に臨んだ。彼の正義感と勇気を大いに賞賛したい。

 A君を援護するためにも、私の職場内で15名の職員の賛同を得て、「入国管理局における外国人の収容実態の、早急なる調査を求める声明」を発表。「警察・入管による外国人への暴力を許さない」要望書への署名運動を展開した。

 A君の投じた一石は、法務省を動かした。わずかかもしれないが入管業務に変化が起きたものと思う。そして、「人権後進国・日本」「(事実を隠す)反省なき無責任国民・日本人」からの脱却への確実な一石になったと思う。




私の見たこと

(1994年12月23日記者会見で明らかにしたAさんの手記)

 私は1993年4月から7月にかけて、東京入国管理局警備第五課(第二庁舎)に入国警備官として勤めていました。収容場内で暴行を受けた人達が訴え出ているのを知り、このまま真実が無かったことになるのがあんまりだと思い、証言することにしました。

《貴重品の取り扱いについて》

 収容者から預かった貴重品を入れる保管庫は、ただのロッカーであった。夜間は鍵をかけることになっているかもしれないが、昼間は鍵をかけてあるのを見たことがない。

 収容者のキャッシュカードを不正使用した職員の事件が報道されていたが、五課のものが収容者の貴重品を持ち出そうと思えば、無断で持ち出すことは、それほど難しいことではないだろう。

《「しめる」について》

 言うことを聞かない収容者への暴行は日常的であった。よく暴行を受けるのは、イラン人、中国人、韓国人、いずれも警備官に反抗的な男性であった。殴るときは素手で殴る か、蹴りつける。警棒を使用しているのは見たことがない。

 警備官は「説得」または「しめる」などと称して、警備官に反抗的な収容者を別室に連れ込み、そこで暴行を行っていた。別室に連れ込んだ収容者はまず正座させられる。わりと反抗度の軽い収容者は、言葉による説得(ようするに注意)で済むが、そこで更に警備官に反抗した収容者は、正座の状態で胸をけられたりしていた。胸を蹴られた収容者は当然倒れる。そこのところを「誰が寝ていいといった」などとどなりつけ、さらに蹴りつける警備官も中にはいた。

 そしてわびを入れさせられる。最初は「わたし悪いことしてない」と叫んでいた収容者も、ボコボコにけられているうちに「ゴメンナサイ ゴメンナサイ、ワタシ、ワルカッタデス」と叫ぶ。そこでだいたいの警備官は暴行をやめる。だからなかなか謝罪しなかった収容者ほど、たくさん傷を負う。たいていこのように別室に連れ込むときは、収容者1人に警備官3人以上で行っていた。

 ある警備官に聞いた話だが、腹をけられて「クソをもらした」収容者もいたらしい。この話は実際に蹴った警備官が自分で言っていた。

《「制圧」について》

 五月頃、十数人ほど収容されていた部屋で、弁当を職員に投げつけたりして収容者が暴れだしたことがある。自分は五課の事務室にいたが、非常ベルが鳴り、放送で全警備官が収容場に呼び集められた。80人以上の警備官が集まり大騒動になった。自分が駆けつけたときは居室のドアが開けられていて、数人の警備官が収容者ともみ合っていた。あたりには弁当箱などが散乱していた。自分は暴れている中の一人のイラン人を取り押さえるのを手伝った。収容者を取り囲んで身動きができない様に取り押さえた。別室に連れていこうとしたその途中で、すでに抵抗をしなくなったイラン人をボコボコに殴ったりけったりする警備官がいた。別の場所に連れていかれ、収容者の何人かは縄で縛られていた。縛られている収容者に対し、更に蹴りつけたりする警備官もいた。このとき「応援」に駆けつけた他の課の職員に中には「おまえ、殴れたか?」といった会話をしている者がいた。その後自分は事務室に戻った。

 特に暴れていた者5〜6人は、隔離室に入れられていたのを何日か後に確認している。彼らは手錠をかけられたまま長期間にわたって隔離室に入れられていた。「食事を食べるときはどうしてるんですか」と先輩に聞いたところ「別に手錠ははずさない」と先輩は答えた。彼らの中には額から血を流している者や、鼻が紫色に腫れ上がっている人もいた。更にその後、片足のイラン人が隔離室の鉄格子に手錠でつるされていたのを見た。自分の見た範囲では、少なくとも一時間以上はそのままの状態でつるされていた。何時間つるされていたかは分からない。

 この後収容場全体が静かになったので(収容者がおとなしくなったので)、特に「しめる」とか、暴行を加えることはしばらくなかったようだ。 《上司はこうした暴行をどう見ていたか》  上司がこうした暴行をまったく知らないということはありえないことだ。「しめる」ために収容者を勝手に居室から連れ出すことはできない。暴行をやりすぎた後は「あんまりやるな」と指導されていたようだ。日頃から「顔など目立つところにはやるな。」と指導されていた。

 上に記した5月頃の制圧では上司が指揮をとっていた。縛っている状態のときは課長もやって来ていた。

《病気》

 なぜだか分からないが、よく病院に連れていっているようだった。病気というよりは、職員による暴行のためのこともあるだろう。 一度、24時間勤務のとき、赤い物を吐いて倒れた収容者がいた。先輩を通じて上司に知らせたところ「朝まで様子を見ろ」といわれた。すぐ救急車を呼ぶべきだったと思う。結局その人は持ち直したけれど。 収容者の中には頭がおかしくなって、自分で壁に頭をぶつけだす人もいる。その人の気持ちは良く分かる。いつ病気になってもおかしくない収容状況である。

 収容者の中には病気を持っている者もいる。収容エリアと事務エリアの間に、消毒薬の噴霧器が置いてあって、手を消毒して出ることになっている。収容者と接した後は先輩に「手で目をこするな。」といわれた。

《過酷な労働》

 すべての職員が「しめる」というような過度な暴行を行うわけではない。ちょっとした暴力なら多くの警備官が経験していると思う。ただこのような暴行を行う職員がいなければ、やっていかれない職場ではあると思う。

 労働時間については、就職前に聞いていた話と大きく違っていた。正規の勤務時間は午前9時から。午後5時までだ。しかし収容者からの「手紙を出したい」だとか「これを届けてほしい」だとかの要望を聞いていると、どうしても帰りが遅くなる。どんなに早くても午後7時、帰りが10時半を回ることもしょっちゅうだった。

 収容者への暴行は職員のストレスのはけ口になっているのかもしれない。仕事量の割りには職員数は足りなすぎる。警備官の労働条件が改善されなければ、当然収容者への処遇も改善されないだろう。週二日は休めるが、体も精神ももたない。

 勤めはじめた職員は、次の三つのうちの一つをを選ぶことになる。「暴行には一切無関心、自分には関係のないこと。仕事は仕事として割り切って続ける。こういう人は外国人に暴行を加えるということはしない。」「異常な世界にはまり込んでいく。自ら暴行を加えるように変わっていく。」「耐えられなくなって退職する。」

《なぜ退職したか》

 退職時に上司に次のようにいってやめた。「ニヤニヤ笑いながら人を殴るような、頭のおかしな(正常な感覚を失った)先輩の下では働きたくありません。」

 麻薬に絡んだ事件など強制送還されれば本国で死刑になる人もいるらしい。こうした仕事を何も自分がやることはないだろうとも思った。 (あきやま たけし)




入国管理局における外国人の収容実態の、早急なる調査を求める声明

(1994年12月23日Aさんの記者会見で、同時に出された声明。Aさんの母校のN高校の職員ら15名による。)

 元入管職員のAさんは高校生として、わたしたちの勤務するN高等学校に在学し、1993年3月に卒業、その後東京入国管理局第二庁舎に警備官として就職しました。しかし勤務後、わずか4か月で退職致しました。

 私たちは彼の退職にあたって、彼から相談を受け、その勤務中に見聞きしたことを聞き知り、入国管理局があまりの異常な事態になっていることに驚かされました。また最近、外国人自身から、何件か入管職員から暴行を受けたと訴えがあったとの報道がありまし た。これを見過ごすことは、人権に対する重大な犯罪であると考え、再度彼から証言を聴き、別紙に聞き取った内容をまとめました。

 在学中彼は誠実で責任感のある生徒であり、「文化祭実行委員長」などを積極的に引き受けるなど、他の生徒をリードする生徒でした。また就職時も、入国警備官の仕事に憧 れ、大きく胸をふくらませて卒業していったことを良く記憶しています。従って現在の入国管理局で働く職員を陥れようするような、悪意からのでまかせをいっているのではありません。私たちへの証言も、まったくの正義感からのものであり、その口調も極めて落ち着いて、慎重に言葉を選んでいました。またすべてを語ったあとも「すべての入管職員がこんなことをしているわけではありません。」と言い添えるのを忘れませんでした。

 証言で明らかなように、入国管理局職員の収容者に対する暴行は、組織的で、一方的 で、陰湿で、日常的なものであったこと。勤務する職員の労働時間も長く、職員の精神的負担も極めて大きい職場であることがうかがわれます。

 私たちはこのような事態が続くかぎり、安心して教え子を入国管理局に就職させることはできないと考えています。

 現在入国警備官は782名いると聞いていますが、一方で在留資格を持たず働き続ける外国人は30万人とも40万人とも言われています。どんなに努力しても、このすべてを摘発し、追い返せるものではないことは、分かりきったことです。また警備官の努力で、仮にこれらの労働者が減少していけば、空洞化した労働力を埋めようと、さらに外国人の流入が加速していくことになります。つまり警備官の仕事は、やる意味を見いだせない、むなしい過重労働ということになります。

 また彼の証言で特に注目すべき事として、このような入国管理局職員による暴行は日常的で、組織的な暴行だったといわざるをえないことです。「組織的」という意味は、「数人の職員が事前に相談して説得、従わない場合は暴行におよんだ」事にとどまりません。暴行は「上司の命令」で行われていたかは、はっきりしません。しかし制裁を加えるため居室から収容者を連れ出すには、上司の許可が必要ですし、しばしば上司が「やりすぎるな」とたしなめていたことからも、上司の知らぬ状態で行われていたわけではありませ ん。また他の職員も見てみぬふりをしていた事実から見れば、入国管理局の摘発・収容・強制送還の執行を担う警備官の仕事が、こうした暴行に走る一部の警備官に頼らざるをえない状況にあったと考えますがいかがでしょうか。

 唯一、入国管理局側が認めた暴行事件では、中国人女性に暴行を加えた警備官を、減給処分にしたということですが、これも私たちには信じ難いことです。私たちの職場であ る、学校現場において、悪いことをした生徒に対し教職員が集団リンチを加えたとした ら、解雇だけではすまされないでしょう。暴行を加えられるものが、「出入国管理法違反の外国人」であれば、「ちょっと行き過ぎた暴行(入管側の釈明)」として減給処分だけですませてしまうのでしょうか。

 私たちは子どもたちの教育に携わる仕事をしています。「子どもの権利条約」をはじ め、人権教育にも一層の力を注ごうと努力しています。また、日本の学校にも外国籍の子どもたちが多く学ぶようになってきています。こうした状況の中で、国際社会に教え子を送りだすとき、一方で日本の入国管理局でこのような実態がまかり通っているとすれば、見過ごすわけには参りません。

 日本政府、法務省は入国管理局の実態について速やかに調査し、事態を更に明らかに し、責任の所在をはっきりさせるべきだと私たちは考えます。彼の証言が入管行政の実態の改善や、入管政策の見直しのきっかけになることを願います。




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