【 PTSD:心的外傷後ストレス障害 】
出典 赤城高原ホスピタル
群馬県勢多郡赤城村
北赤城山南平1051
TEL: 0279-56-8148
akg_take@mail.gunma.med.or.jp
[PTSDとは、トラウマ、外傷後ストレス障害、外傷記憶]
PTSD
というのは、アメリカの精神障害の診断統計マニュアル(通称DSM-IV)にある診断名の1つ、"Post-traumatic Stress Disorder"
の略称です。「外傷後ストレス障害」という日本語訳がついていますが、日本のアディクション問題関係者の間では、
そのまま「PTSD」と英語読みされることが多いようです。PTSDのTは「Trauma,
トラウマ」の頭文字で、PTSDの訳語では単に「外傷」とされていますが、身体的外傷ではなく、
精神的(心的)外傷のことです。本来トラウマは、心的外傷つまり、心の傷の事で、その原因となる体験ではありませんが、
日本ではマスコミなどによる誤用が定着しつつあり、心の外傷をおこすような体験(外傷的体験、トラウマ体験、traumatic
events)のほうをトラウマと呼ぶようになってきました。このページでは原則として、
外傷的体験とその結果として起こるトラウマ(心的外傷)とを区別して記載しました。
外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、
不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。そのような圧倒的な衝撃は、普通の記憶とは違って、
単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」を形成し、
脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされています。PTSD患者の神経生理学的徴候は、
神経画像的研究、神経化学的研究、神経生理学的研究、電気生理学的研究などで証明されつつあります。
外傷記憶は時がたっても薄れることがなく、その人が意識するしないにかかわらず、
一生その人の心と行動を直接間接的に支配するのです。
[外傷性精神障害とPTSD、PTSD以外の外傷性精神障害]
外傷記憶を形成するような体験とは、戦争、家庭内の暴力、性的虐待、産業事故、自然災害、犯罪、交通事故など、
その人自身や身近な人の生命と身体に脅威となるような出来事です。PTSDでは、その種の出来事に対して、
恐怖、無力感、戦慄などの強い感情的反応を伴い、長い年月を経た後にも、
このようなストレスに対応するような特徴的な症状が見られます。たとえば、患者はその外傷的体験を反復的、
侵入的に再体験(フラッシュバック)したり、外傷的体験が再演される悪夢を見たり、
実際にその出来事を今現在体験しているかのように行動したりします。
あるいはそのような出来事を思い出させるような活動、状況、人物を避けたり、その結果として孤立化したり、感情麻痺や集中困難、
不眠に悩まされたり、いつも過剰な警戒状態を続けていたりします。
PTSDの診断基準はAからFまで6項目ありますが、診断にはそのすべてを満たすことが必要です。
つまり、PTSDは、外傷性精神障害の総称ではなく、典型的な外傷的体験に伴って、
トラウマ体験に関連する特徴的な症状(再体験、回避、麻痺、覚醒亢進、解離など)
のみられる場合を1つの疾患単位として抽出したものです。心的外傷後に起こりうる精神障害としては、
PTSD以外にも、うつ状態、パニック障害、解離性障害、行動障害、身体化障害、転換性障害、適応障害、摂食障害、自傷行為、
境界性人格障害、アルコール・薬物乱用を初めとする嗜癖性疾患など、多数あります。
これらはまた、PTSDの合併症としてみられることが少なくありません。
ちなみに、PTSDは、他の精神障害を合併しやすい(合併率8割以上)という特徴があります。
[急性PTSD、慢性PTSD、急性ストレス障害]
DSM−Wでは、PTSD を急性と慢性に区別します。症状の持続期間が3カ月未満の場合を「急性」、
3カ月以上を「慢性」とします。心的外傷体験の後、解離、再体験、回避、不安など反応性の症状が2日以上続き、
4週間以内に消失する場合には、急性ストレス障害(Acute
Stress Disorder)といいます。PTSD の症状発現が、心的外傷後6カ月以上の場合には、「発症遅延」と言います。
[社会的事件とPTSD、臨床現場のPTSD、PTSDの重症度]
近年、外傷性精神障害に対する社会の関心が急速に高まりつつあります。
中でもPTSDは、社会問題としてマスコミに取り上げられることが多くなりました。
アメリカでは、従来は、ホロコーストの後遺症や、ベトナム帰還兵の問題として、近年では、
性的外傷(レイプや近親姦)や湾岸戦争後遺症と関連して、日本では、
阪神大震災や地下鉄サリン事件の被害者に関連して一般に知られるようになりました。
筆者の勤務する施設(赤城高原ホスピタル)でも、最近、PTSDに遭遇することが多くなりました。
ホスピタルで扱う患者の外傷的体験としては、幼児期の性的・身体的虐待の被害者やレイプ被害者が多く、
このほか、学校におけるいじめ、教師からの暴力なども重要な要因になっています。嗜癖問題専門という治療施設の性格上、
患者はアルコール・薬物依存症か摂食障害を合併していることがほとんどです。PTSDの重症度は、比較的軽症のものから、
極めて重症のものまで患者によって大きな幅があります。
[PTSDの治療、治療上の注意点]
PTSDの治療としては、急性の外傷的体験に対しては、被害者に苦痛の体験とそれにまつわる感情を話す場所と時間を提供し、
それを共感的に聞く「デブリーフィング」と呼ばれる作業が有効という報告がありますが、この効果はまだ確認されていません。
慢性のPTSDへの治療としては、グループ治療、認知行動療法、精神力動的治療、薬物療法などがあります。
EMDR(Eye
Movement Desensitization &
Reprocessing)は、眼球運動と回想、情緒認識を組み合わせた技法で、
眼球を左右にリズミカルに動かすことで感情の処理過程を促進し、外傷記憶に伴う苦痛な感情を脱感作するというものです。
トラウマ体験に基づく、恐怖症、不安、フラッシュバック、解離性健忘などに有効です。
PTSDの症状は、それ自体が患者に苦痛と感じられてはいても、
患者が外傷的体験の破壊的影響をやわらげ、精神の統合性を辛うじて保つための避難場所、
ある種自己治療としての意味合いがあります。一方、治療過程には、外傷的体験を思い起こさせたり、
問題に直面させる作業を含むので、治療そのものが、患者にとって破壊的、侵入的に受け取られる危険が大きく、
治療によって一時的にはかえって不安定になったり、混乱状態になることも少なくありません。
人格障害をともなうような重症例では、一般に治療は長期、困難なものになります。ゆがんだ治療関係になり易く、
PTSD患者が医療から二次的被害を受けることもしばしばみられます。逆に治療者が、患者に共感的になるあまり、
「代理の被害者」になったり、「同情疲れ」になったりすることも指摘されています。治療者のセルフ・ケアが大切です。
PTSD患者が不当な暴力に継続的にさらされているような場合には、無力な患者の代理人として、
不当な暴力から患者を守るべく協力すべきか、治療者の中立性の立場を固持すべきか、
バランスを取ることが困難な場合もあります。
[PTSDの回復とは]
なおトラウマが人の心に永続的な変化を引き起こすとは言っても、PTSDは回復可能な病気です。
外傷性記憶やその影響が消えることはありませんが、それが日常生活を左右しなくなること、外傷体験にも、
自分なりの自己肯定的な意味付けができるようになること、これがPTSDからの回復と考えられます。
[複雑性PTSD]
長期、慢性に外傷的体験を受けてきた被害者の症状の範囲は、現在PTSDの症状とされているものよりは多彩で、
中心的症状は、衝動性、感情障害、解離性障害、自傷行為、対人関係障害などであるとして、従来のPTSDと区別して、
「複雑性PTSD」という診断名が多くの臨床家や研究者から提唱されています。しかし現行のPTSDとの区別や、
単一疾患としての整合性などの点から、一般の同意を得るには至っていません。
[偽記憶症候群、性虐待]
PTSDに関連して、アメリカで近年大きな論争をひきおこしている社会問題は、「偽記憶症候群」(FMS=False
Memory Syndrome)です。抑圧された近親姦などの外傷的体験の記憶が、治療中に思い起こされることは、少なくないのですが、
アメリカでは、そのような「性的虐待被害者」が加害者とされる親族を裁判に訴えることが多くなりました。
訴えられた親族の一部は、性的虐待を真っ向から否定し、そのような「トラウマ体験」は、もともと存在しないのに、
治療過程で捏造され、無力な患者に吹き込まれた偽の記憶であるとして、患者の問題を「偽記憶症候群」と名付け、
治療者を告訴するようになったのです。
また、彼らは「偽記憶症候群財団」(FMSF=False Memory Syndrome Foundation)を設立して、全国的な広報活動を展開しています。
[アダルトチルドレンとPTSD]
最後に、PTSDはアダルトチルドレン(AC)概念と重なる部分が多いのは確かですが、ACはそもそも、
疾患名や診断名ではなく、認知行動的概念です。だから極端な言い方をすると、機能不全家庭に育ったために、
現在生きづらさを感じていると自認する成人は、誰でもACということもできます。
またACでは、認知や対人関係の歪みが問題とされることが多いのに対し、一方のPTSDは、限局した診断概念で、侵入症状、
再体験、回避、麻痺、覚醒の持続的亢進、睡眠障害、過敏性、過剰警戒など、
外傷的体験に関連した特徴的な症状が問題とされることに注意が必要です。また、PTSDの原因となる外傷的体験は、
幼児期に限られません。この二つの語は、本来異なる機能を持つ概念なので、直接比較することは困難です。
機能不全家庭に育った人(AC)は、当然家庭内で虐待などの外傷的体験を受け易く、
その後の人生でも、外傷的体験を招くような人間関係を作り易く、また同じ体験に対しても、大きなダメージを受け易いために、
PTSDを生じやすいといえますが、「ACはPTSDなのだ」といってしまうのは単純化のし過ぎだと筆者は思います。