寺西幹仁インタビュー



Q:いつどこで生まれたのですか?
寺西さん:1960年、鳥取県鳥取市です。


Q:血液型は何ですか?
寺西さん:A型です(血液型聞いてどないすんのー?という笑顔で)


Q:寺西さんが生まれた時の家族構成を教えてください
寺西さん:おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、後に妹が生まれました
一軒屋で庭がありました。母は散髪屋を経営していました。小さな店ですけど。


Q:お父さんはどんな方ですか?
寺西さん:公務員で。酒飲みでした、日本酒が好きでした(笑顔で)


Q:真面目な地方公務員という感じじゃないのですね?
寺西さん:でもバレーボールで国体に2度出たこともありますよ、腕っ節が強かったですわ。真面目だと思いますけど、一回酔っ払って自転車で川に突っ込んだことがあります。入院しました(笑顔)


Q:寺西さんの詩集、「副題 太陽の花」の[とりこ]という作品が僕は好きなのですが、[とりこ]はいつ頃書かれたものですか?
寺西さん:三十代後半です。主人公は小学生です。


Qあの作品は実話なのですか?と聞こうと思ったがやめる。
Q:寺西さんと詩のかかわりについて教えてください
寺西さん:書きはじめたのは26歳。読み始めたのは高校生の頃です。


Q:ちなみに高校はどこだったですか?
寺西さん:鳥取商業です


Q:高校生の頃はどんな詩を読んでいましたか?
寺西さん:萩原朔太郎、中原中也、ボードレール。でも鳥取では読めたり売ってたりするのがこれくらいしかないんですよ。もっと詩が読みたかったです。


Q:以前、寺西さんはコンビニに詩学が並ぶようになるといいと言っておられましたが、その当時のそういった気持ちもあるのですか?
寺西さん:ええ、あります。 Q:高校を出た後は? 寺西さん:大阪の大学に進学しました。近畿大学商経学部です。 Q:将来の目的などがあったのですか? 寺西さん:特にないです。


Q:大阪に行くと鳥取とは違い読みたかった詩が沢山読めるようになりましたか?
寺西さん:ええ。今生きている詩人の詩集が読めるようになりました。


Q:その頃読んでいた詩集や好きな詩人は?
寺西さん:思潮社の現代詩文庫を片っぱしから読みました。 好きな詩人は、辻征夫、黒田三郎、川田絢音、、、


Q:大学生活はどんな感じでしたか?
寺西さん:バイト三昧です。ガードマン、ウエイター、お好み焼屋が一番長かったです。今でもお好み焼き作るのは自信ありますわ(笑顔) あとバンドでギターとベースを弾いていました


Q:え!はじめて聞きましたよ!
寺西さん:コピーですけれどね、ライブハウスとかに出たりしないです、学園祭にちょこっと。 メンバーのやりたい曲を、甲斐バンド、サイモン&ガーファンクル、ビートルズとか。 あと麻雀もかなりやりました。強かったです(笑顔) あと京都や奈良に仏像見にいったり。 お陰で二年留年しました 二年目は親に勘当されたので頑張って卒業しました(笑顔)


Q:その頃、詩の雑誌は?
寺西さん:詩学、詩手帖、詩芸術、詩とメルヘン、詩と思想、、 詩学は分かりやすかったです 詩手帖はむずかしい。学者が書いたような。今もむずかしい(笑顔)


Q:詩の雑誌は全部買って読んでいたのですか?
寺西さん:立ち読みして、おもろそうなんを買ってました。


Q:鳥取では有名な詩人の詩しか読めなかったわけじゃないですか、大阪に来て今生きている詩人の詩を読めるようになりましたよね 死んでいる有名な詩人といま生きている詩人の作品、そこに違いはありましたか?
寺西さん:うーん、夏目漱石と村上龍読むのでは違うようには・・


Q:じゃあ2年留年で25歳で大学卒業、いよいよ寺西さんが詩を書き始める26歳に迫ってきました 大学を出てからは?
寺西さん:大阪で、建築設計用のプログラムを作る会社に就職しました。


Q:えらい専門職ですね
寺西さん:大学のゼミでコンピューターつついとったんです。丁度ね、パソコンが世間に出回りはじめた頃なんですよ! 新しもの好きなんです。


Q:ちなみに、その頃のプログラム言語って言ったら何なんですか?JAVAとか何とかとか色々あるじゃないですか?
寺西さん:ベーシックです。


Q:仕事はどんな感じですか?
寺西さん:いきなり東京に飛ばされるんですよ。土日休み。職場関係も良かったです。 浦安に住んで新宿に通ってました。


Q:東京に来られたんですね。
寺西さん:ええ、また大阪に戻るんですけど。 東京に来て友達もおらんし、さみしいなあと思って、詩学ワークショップの前身「東京詩学の会」に参加しはじめました。


Q:なるほど、ワークショップに参加するのには自作の詩が必要で、それで詩を書き始めたということですね?
寺西さん:はい、そうです。 会場が四谷なんで、会社の定期が使えるのも大きかったです(笑顔) だいたい毎回20名ぐらい来てたんじゃないでしょうか、おじいちゃんおばあちゃんが多くてぼくが一番若かったです。 ここで前社長の篠原さんや、東京の詩の人脈が出来ました。


Q:他には東京ではどんなことをなされていたのですか?
寺西さん:あとは、荒川洋治さんの詩の教室が池袋で月1ありまして、2〜30人くらい来てましたね ここで知り合った同年代の仲間と「フラスコ」という同人誌を作り始めました。 「フラスコ」は年4回発行。だいたい2〜300部刷りました。


Q:それはどうやって売るんですか?
詩の雑誌に送ったり、詩人に送ったり、荒川洋治さんの紹介で一度新聞に載せていただいこともあります。 西武リブロのぽえむぱろうるに置いてもらったり。


Q:その頃からぱろうるあったんですかっ!
寺西さん:ええ、ありました。ああいった場所がなくなることは現代詩にとってきついことですわ・・ ・


Q:休日の寺西さんは何をしているのですか?
寺西さん:詩のワークショップ以外では、上野あちこち美術館とかありますやんか 結構うろうろ。


Q:詩人以外の好きなアーティストとかは?
絵だと、ガンディンスキー、ターナー、ブラック。彫刻だとムーア・・


Q:26歳で東京に来て詩を書き始めた寺西さん、東京にはいつまでおられたんですか?
寺西さん:3年いました。29でまた大阪に戻ります。


Q:同人誌「フラスコ」はどうなりましたか?
寺西さん:自然消滅ですかね。


Q:大阪に帰ってきた寺西さん、大阪は好きですか?
寺西さん:ええ、好きです。たぶん大阪にいたのが17年で一番長いと思います。 で、また同人誌を作りたいというのがあって、 小劇場におもろい人を探しに行ったり、詩学の投稿欄の自分の気が合いそうな人に手紙を出したり、 タウン誌に載ってた朗読会の告知をみて行ったり。 この二冊目のは、同人内の人間関係であれになりまして 34歳の時に大阪文学学校に入学します。 合評会の講師を高階杞一さんがしておられて、ここに2年通いました。 ここで知り合った仲間と三冊目の同人誌を作りました。












ここで、時間も遅くなってきたので、次回また続きをやりましょうということで中断。




寺西幹仁インタビュー
2007年11月26日 
東京都文京区湯島 詩学社にて

質問者 馬野幹




寺西幹仁