記録と随想4:創文社刊・ヴェーバー『経済と社会』邦訳をめぐる半世紀――創文社の事業終結に思う (82)

 

[本稿は、去る720日、創文社の久保井浩俊、同正顯、両氏より、同社の新刊停止・事業終結の通知を受け、即興でしたためた返信である。同社刊・ヴェーバー『経済と社会』全邦訳計画を焦点に据え、敗戦後日本社会学の「時流迎合性」、学者一般の「無自覚な」対出版社関係などにつき、筆者自身の取り組みを踏まえて、「歯に衣着せぬ」批判を加えた。両氏の許諾をえて、ここに転載する。201682日]

 

創文社 久保井浩俊様、久保井正顯様

 

拝復

 御社事業終結のお知らせを受け、びっくりいたしました。

 1935年に生まれ、10歳で敗戦を迎え、その後、学問研究に携わり、出版界にも著書の刊行を通してかかわってきたひとりとして、万感の思いです。

以下、回りくどい我田引水の一文で恐縮ですが、小生、出版界における御社の理想を、学界にあって共に追求してきたひとりとして、御社刊のマックス・ヴェーバー『経済と社会』全邦訳計画ならびに刊行諸篇をめぐる思いと取り組みについて綴り、ご返事に代えさせていただきたいと存じます。

 

1.「マックス・ヴェーバー生誕100年記念シンポジウム

 小生には、1964年の「ヴェーバー生誕100年記念シンポジウム」が、一学究としての生き方を決める画期となりました。「ヴェーバーとマルクス」「ヴェーバーとパーソンズ」「ヴェーバーとドープシュ」(後には)「ヴェーバーとニーチェ」等々、「ヴェーバーと〇〇」という華々しい(けれども、双方とも「半分かり」の)議論が展開されるなかで、ヴェーバーの労作は、ほんとうのところ、どこまで読まれているのか、基礎的な読解と研究をなおざりにして先を急ぐ、いうなれば「時流迎合zeitgemäß」で根のない学風のままでいてよいのか、なにか危ういのではないか、自分はむしろ、さしあたり納得のいくまでヴェーバーの著作そのものに沈潜したい、……というのが、「100年シンポ」の率直な感想のひとつでした(御社近刊の中野敏男他編『マックス・ヴェーバー研究の現在』に寄せた拙稿「歴史社会学と責任倫理――生誕100年記念シンポジウムの一総括」に、一端を綴りました)

 

2. 御社とのご縁

 そういう心境でしたので、そのころ御社が取り組まれた『経済と社会』(第四版) の全訳計画、その後しばらくして刊行され始めた粒々辛苦の邦訳の数々、とりわけ世良晃志郎先生の訳業は、なにものにも代えがたいお仕事で、繰り返し読んでは、感嘆し、勉強させていただきました。小生もいま、八十路に差しかかり、一ヴェーバー研究者として生涯を終えようとしておりますが、この半生、学問上もっとも裨益され、出版社としての社風-方針に共鳴してきたのも御社だった、と躊躇なく申し上げられます。『経済と社会』関係の高水準の訳書以外にも、水林彪君、矢野善郎君の重厚な力作を世に出し、今回もまた、中野敏男他編『マックス・ヴェーバー研究の現在』の出版を引き受けてくださいました。

 

3.『経済と社会』全邦訳計画における社会学者の不在――戦後日本社会学の思想的貧困

ところで、『経済と社会』の邦訳諸篇が刊行され始めて、小生がいささか驚きましたのは、『経済と社会』が、ヴェーバーの社会学上の主著とされ、じっさいにもそのとおりと思えましたのに、その全訳計画に社会学者がひとりも登用されていない事実でした。

とはいえ小生は、この事実に、「社会学者が虚仮にされて、面目丸潰れ」と憤ったわけではありません。むしろ、「社会学界の実情を客観的に反映していて、やむをえない」と受け止めました。周囲を見回しても、『経済と社会』を邦訳しきれる社会学者は見当たらず、むしろそこに、「戦後日本社会学」の思想的貧困が露呈されている、と思われました。

少々敷衍しますと、敗戦後の日本社会学は、少なくともヴェーバー研究にかんするかぎり、戦前からの研究の蓄積を、批判的に総括し、乗り越えて、連続的に発展を期そうとはしませんでした。むしろ、いきなり戦勝国アメリカで隆盛をきわめた「20世紀科学」の「実利先行型実証主義」に飛びつき、アメリカ流「産業社会学」等々に『転身』し、「一『先行理論』の研究は、いちはやく切り上げて、独自の実証的応用研究に取り掛かれ」と説き、アメリカの財団から資金をもらって「社会階層と移動」(通称SSM) の全国調査にも乗り出す、というありさまでした。そうした「戦後転向」に、やや遅れ「距離をとって接近」した世代の小生は、そういう「変わり身の速さ」に「時流迎合」の思想的貧困を看取し、翻っては、『経済と社会』全訳計画における社会学者の不在に、むしろ社会学者としての責任を感じた次第です。

 

4. 社会学者不在の反面―――邦訳における社会学の欠落

といいますのも、刊行された『経済と社会』邦訳諸篇を精読していくにつれて、社会学者の不在に帰せられるべき欠陥という反面も、明らかになってきたからです。

『経済と社会』は、ヴェーバーの社会学上の主著で、(行為者によって抱かれる意味内容の分節化に応ずる)連字符社会学」(宗教-社会学、政治-社会学、法-社会学、経済-社会学、等々) の諸篇からなっています。ところが、邦訳諸篇は、それぞれ、粒々辛苦の労作ではありますが、内容上は、肝心の社会学が抜け落ちていました。「社会学的基礎カテゴリー」――後述のとおり、これが、「旧稿」(191014) から「改訂稿」(1920) にかけて、原著者マックス・ヴェーバー自身によって明示的に変更され、双方の全篇別個に貫いています――が、顧慮されず、訳語も、諸篇相互間ばかりか、一篇内でも、まちまちでした (「宗教社会学」篇では、「ゲゼルシャフト」が「共同体」、「都市ゲマインデ」の「ゲマインデ」が「教団」と訳されている箇所があります)。これでは、読者が戸惑うばかりか、当の「基礎カテゴリー」にもとづく全篇の統一体系構成を捉えることができません。

たとえば、武藤他訳「宗教社会学」篇は、なるほど規範学の一部門としての)宗教教理学・宗教上の著作、あるいは経験科学としての歴史学の、そのまた一部門としての)宗教史・宗教史学上の著作に見立てれば、優れた訳書にちがいありません。とくに歴史上の宗教現象にかんする豊富な訳注は、宗教学者・宗教史学者ならではの研究成果で、社会学者にはとても手に負えません。ところが、反面、厳密にいえば「宗教社会学」の体をなしていないのです。

ヴェーバーの「宗教社会学」は、経験科学ながら、普遍史的な視野で、歴史上繰り返される現象を突き止め、そこから「一般法則」を抽出し、「類的理念型」を構成し、「決疑論」体系に整序しておこうとする「法則科学」の一部門です。特定の一宗教でも宗教でもなく、人類の「宗教Religiosität」の研究です。

 

5.「歴史-社会学」――「現実科学」と「法則科学」の峻別と個別-総合

なるほど、「法則科学」としての「社会学」は、「現実科学」――すなわち、ある現象の (知るに値する) 特性を、現実の因果連関の一環と見て、先行する別の現象の (同じく知るに値する) 特性に「因果帰属」しようとする「現実科学」――にたいして、当の「因果帰属」に不可欠の「法則的知識」を提供する、密接不可分の関係にあります。しかし、それ自体としては、「法則科学」であって、「現実科学」「歴史科学」ではありません。

ちなみに、ヴェーバーの「歴史-社会学」は、「歴史学」を「現実科学」、「社会学」を「法則科学」として、双方を方法論的には峻別しながら、問題状況の特性 (それ自体としては普遍的な諸要因の個性的布置連関Konstellation) の「因果帰属」に取り組むさい、また、当の状況にたいする実践的投企の「結果」および「随伴結果」を、「客観的可能性」において予測するさい、そのつど、双方の関連知をあえて関連づけ、そのつど構成される、緊張にみちた個別-総合知です。双方が、この緊張から離れ、日常的「専門経営」に引き渡されますと、「歴史学」は「素朴実証主義」に、「社会学」は「モデル構成の自己目的化」に傾きます。現在まま見受けられる、「現在から逃れて過去を対象とすれば即『歴史社会学』」といわんばかりの、無概念-没方法論の「歴史社会学」は、ヴェーバーの「歴史-社会学」とは「似て非なるもの」というほかはありません(この点は、『マックス・ヴェーバー研究の現在』寄稿の後のほうで述べたところです)

 

6.「理解科学」の「法則科学」的分肢としての「理解社会学」――方法・基礎カテゴリー・普遍的「社会形象」の再構成

さて、上記のような根本性格をそなえた「社会学」の創成は、著者ヴェーバーが、1898年ころから精神-神経疾患に罹り、それまでは順風満帆に航行してきた「大学内立身出世」コースからは脱落せざるをえなくなる、という「挫折」体験と関連しています。これによって「学界」はもとより「学問」からも距離をとれたヴェーバーは、かねがね感得していた学問のあり方への疑問を、こんどは正面から引き受け、社会科学方法論に沈潜し、反省を重ねました。

その結果、一方では、たとえばヴィンデルバントとリッカートが区別はしていた「個性記述的・個性化的文化科学」と「法則定立的・一般化的自然科学」とを、むしろ独自に総合する「歴史-社会学」を構想します。そして、とりあえずは、その「歴史-社会学」の「法則科学」的契機にあたる「社会学」を、「理解社会学」つまり「理解科学」の「法則科学」的分肢として、方法論的に定礎し、その基礎カテゴリーを「行為」-「集群Gruppe-「無定型のゲマインシャフト行為-関係」-「諒解(的ゲマインシャフト)行為-関係」-「ゲゼルシャフト(的ゲマインシャフト)行為-関係」等々として設定します(当初には、このとおり「ゲマインシャフト」が「ゲゼルシャフト」の上位概念です)

その「理解」の方法手順と基礎カテゴリーとを主題として採り上げ、理由あって別途『ロゴス』誌に発表した論文が、「理解社会学のカテゴリー」(1913) でした。そこで概念規定された基礎カテゴリーを、古今東西の諸文化圏に普遍的に見られる社会諸形象 (-、近隣-、氏族ゲマインシャフト、オイコスと経営、種族-、宗教教団-、市場-、政治-、法ゲマインシャフト、身分・階級・党派、国民) と、支配諸形象 (伝統的-、カリスマ的-、合理的支配、官僚制・家父長制・家産制・封建制・家産国家的政治形象・身分制 [等族] 国家、皇帝教皇主義-教権制-神政政治、都市の諸類型、近代国家) とに、順次、適用し、それぞれについて「合理化」の契機を探りながら、「社会形象soziale Gebilde」としての構造相互移行を分析し、それぞれに関与する諸個人 (とりわけ支配的地位にあってゲマインシャフト行為を左右する権力を握っている諸個人) の人間「動機」という「動因」に遡及して、動態的に捉え返し、よってもって社会科学における「原子論atomism」と「全体論holism」との総合を企てたのが、まずは『経済と社会』旧稿(191014年執筆の遺稿) でした。

 

7.『経済と社会』邦訳の底本――テクスト編纂問題

ここで、『経済と社会』の全訳計画に戻りますと、いまひとつ、これまた突き詰めれば社会学者の責任に帰せられるべき問題がありました。邦訳の底本として用いられた第四版が、編纂本だった、という事情です。

ヴェーバーは、第一次世界大戦の勃発と同時に、『経済と社会』(厳密には「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」) の執筆は放棄しました。敗戦後、識見ある出版社主パウル・ジーベックの督促によって、執筆に戻りましたが、こんどは途上で急逝し、「改訂稿」も未完のまま、遺稿として残されました。

ところが、ヴェーバーは、その「改訂稿」の冒頭「基礎概念」(「社会学的基礎諸概念」章、1920) で、上述のとおり「カテゴリー」(1913) 別途発表していた社会学的基礎カテゴリーに、変更を加え、冒頭の注で、変更内容をいちいち明記はしないものの、「変更した」と、はっきり断りました。かれ自身としては、手許にある「旧稿」は「没」にするつもりでいたでしょうから、変更内容の精細な注記は、必要なかったわけです。

さて、残されたふたつの遺稿については、本来ならば、原著者自身の「変更」注記を重んじ、双方に適用されている社会学的基礎カテゴリーを網羅的に拾い上げ、相互に比較して、「変更」による異同を確認しなければなりません。事実、小生が調べますと、「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という基礎カテゴリーが、前者を上位概念とする包摂関係(「旧稿」)から、概念(「改訂稿」)へと、確かに変更され、定義され、別のふたつの概念系として区別されながら、「旧稿」「改訂稿」双方に、ヴェーバーらしくそれぞれ厳格に適用され、貫徹されていました。

ところが、ドイツのテクスト編纂者は、第13版のマリアンネ・ヴェーバーから、第45版および学生版のヨハンネス・ヴィンケルマンを経て、『全集』版のヴォルフガング・モムゼンやヴォルフガング・シュルフターらにいたるまで、この変更を無視しつづけました。無視したまま、第15版は、「改訂稿」を「第一部」、「旧稿」を「第二部」(ないし「第二、三部」) に、執筆順とは逆に配置し、読者を、変更のカテゴリーで変更の「旧稿」を読む方向に、意図せずして誤導し、中途半端な読解と概念上の混乱に陥れました。『全集版』は、両稿を切り離して別の巻に収録したのはよいとしても、基礎カテゴリーの変更には目をつぶり、論及と解説を放棄し、「旧稿」を主題別に、じつはバラバラに分解して、それぞれ別々の編纂者に委ね、別途逐次刊行という仕儀にいたりました。

つまり、ヴェーバーの母国ドイツの代表的ヴェーバー研究者も、原著者の厳密性水準に比して杜撰で大雑把というほかはなく、原著者に相応しいテクストの編纂には至らなかったのです。小生が独訳して提供した基礎カテゴリー・術語一覧資料にたいしても、それを参考にして先行の編纂を問題とし、編纂方針を改める、という学問的対応には出ませんでした。これでは、読者が、「旧稿」自体の基礎カテゴリーにもとづく「旧稿」全篇の統一的・体系的読解には、到達しようがありません。そのうえで、「改訂稿」への「改訂」の意義を考え、論ずることもできません。

残念ながら、邦訳各篇も、無理からぬこととはいえ、こうした限界内に止まっていました。

 

8.一筋のヴェーバー研究を通して、日本学問・文化一般の積弊に直面

さて、『経済と社会』全訳計画のさい、底本をどうするか、どう扱うか、どこまで議論されたのでしょうか。邦訳を担当した学者が、日本人持ち前の職人気質で、「旧稿」テクストを精読し、テクストから逆に基礎カテゴリーの変更に気がつき、当時のヨハンネス・ヴィンケルマン編第四版テクストを疑い返すことは、できなかったのでしょうか。

最高水準にある企画においてすら、学問上の正確さ・厳密性を欠いたとすれば、その要因の少なくともひとつは、欧米先進国学問の「受容」を急ぎ、その成果をともすれば「鵜呑み」にしがちな長年の慣習律、別言すれば「閉鎖的なくせに海外の最新流行には弱い日本の学界」(内田義彦) の体質と、例の「一『先行理論』など早く『卒業』して、独自の実証研究に取り掛かり、『独創的な』業績を達成せよ」と説く、敗戦後日本の「時流迎合」と (「独創性」と称する) 「学知主義的傲慢akademische Arroganz」、要するに思想的貧困、に求められましょう。小生は、学問上はヴェーバー研究一筋に生き、整合的解釈をめざしたにすぎませんが、そうすることによってかえって、近代日本の学問と文化一般の積弊が見えてきました。

ただ、邦訳すべきテクストそのものを疑って、再編纂してかかる、といった確かに面倒なことを、専門外の邦訳者に期待するのは、現実にはいかにも無理だったでしょう。これもやはり、誰よりも専門の社会学者が、真っ先に、社会学的基礎カテゴリーにかかわる混乱に気づき、その発生源としてテクストの誤編纂を突き止め、警鐘を鳴らし、原著者の意図と構想に沿う整合的再編纂にみずから取り組むべき問題であり、課題でした。

 

.「宗教社会学」(全訳と解説) 新版の企画

以上のことを、我田引水ながら、縷々申し述べましたのも、この間、御社からの『経済と社会』邦訳諸篇に、大いに裨益されながら、その無理からぬ欠陥とは格闘し、学問上の是正を志し、当の欠陥に集約的に露呈された近代日本学問の宿痾とも対決してきた、小生の半生が、じつは、文化事業にたいする御社のスタンスそのものと、図らずも並行し、共振していた、その意味で、敗戦後の一時期を共に時流に抗ってunzeitgemäßgegen den Strom生きた、という感慨を拒み難かったからです。

ところで、小生、じつはいま、当の「学問上の是正」を具体化する試みとして、御社刊の武藤他訳「宗教社会学」への社会学の補完を主とする「全訳・解説」篇を執筆しております。その第一次「全訳」稿を、ほぼ完了したところです。あと、解説と訳注が残されていますが、後者に難儀しています。

小生、前訳の「客観性」(1998、岩波文庫) では、初訳に特別の欠陥――したがって特段の改訳理由――は見当たりませんでしたので、初訳の格段の労苦を思い、みずからは「補訳・解説者」に止まりました。しかし、今回は、上記のような事情を踏まえ、前訳の大いなる長所と無理からぬ欠陥を明示明記したうえ、後者は補填し、読者がこんどこそ、ヴェーバーの「宗教社会学」を、基礎カテゴリーから体系的に読めるように、半生の研究成果を注いで全力を尽くしたいと思います。こんどは、正式の全訳・解説者と名乗り出て、形式上も全責任を負います。この点、御社にも、武藤氏他の初訳者各位にも、ご了承いただけるものと確信いたします。

じつは小生、当初から、この新「全訳・解説」を脱稿した暁には、できることなら御社に出版をお願いしようかと、勝手ながら選択肢のひとつに算入させていただいておりました。その理由と背景は、こうです。

 

10. 「著者−出版社関係」の「責任倫理」的制御に向けて

小生、1970年代の「中央公論社闘争」に関与して、「学者(著者)−出版社関係が、「大学内学者間関係」と同じく、「問い返されるべくして問い返されていない」(「灯台下暗し」の) 実情に気づき、それ以来、ひとりの著者として、対出版社関係も自律的-責任倫理」的に制御しようとつとめてきました。たとえば、少なくとも、原稿引き渡しの遅延による督促の労や共著者への迷惑は避ける趣旨でも、「原稿を脱稿したうえで出版社との交渉に入る」という原則を貫いてきました。

あるいはご記憶のことかと思いますが、1990年代末に、ヴェーバーを「詐欺師・犯罪者」と決めつける破廉恥な本が、某出版社から刊行され、無責任な評論家連中に持ち上げられ、褒めそやされる、という一騒動が起きました。このときにも、小生は、批判論文をしたため、脱稿のうえ、真っ先に当の出版社宛て、打診を試みました。小生も若かったので、「この批判が、学問上、普及し浸透していくと、貴社はそれだけ、不名誉な羽目に陥る。せめて、批判のほうも刊行して、出版社としての『識見』を救い出されてはいかがか」という趣旨を書き送ったものです。編集者のなかには、小生の心意を受け止めてくれた人もいたようですが、娘婿社長が激怒したとのことで、「売れる見込みがない」と断ってきました。「学問」と「(市場に準拠する)企業経営」、双方それぞれの「固有価値」・「固有法則性」にもとづく「葛藤」「緊張」を、初めから知らないか、うすうす感知しても後者に引き摺られて靡くか、どちらかの社風だったのでしょう。

ところが、今回の「宗教社会学」は、この件とは正反対の意味で、主観的にも客観的にも、御社からの改訳刊行が最適・最善と思われました。改訳が初訳と同じ出版社から出ることは、文庫に収められた古典の場合など、しばしばあります。しかし、通例では、先訳者が死去した後、あるいは学界から退いた後、「知らん顔」か、あるいは「あとがき」に儀礼的な挨拶を記すだけで、「改訳」が出ます。とくにヴェーバー関係では、まだ邦訳されていない著作が数多く残されているのに、初訳の挑戦は試みられず、既訳論文を二次、三次、……と「改訳」して、「屋上屋を架する」か、かえって誤訳・不適訳を増やすか、不思議な慣行が罷り通ってきました。小生はかねがね、むしろ改訳の理由を明示し、必要なら先訳者と論争し、先訳者の納得もえて、新たに改訳を出すという段取りが、学問の連続的発展にとって意義のあるフェアな手順と考えてきました。

そして、この「宗教社会学」の場合、まさにそのように運んでも、御社なら、また武藤氏他の「宗教社会学」の訳者なら、小生の新「全訳・解説」原稿を内容的にご検討のうえ、ご了解いただけるものと確信しておりました。

 

11. 御社の事業終結決定に寄せて

ところが、今回突然、新刊発行停止、事業終結のお知らせを受けました。

志高く、矜恃をもって「出版の王道」を歩んでこられた御社だけに、学術専門書の市況の厳しさが、それだけこたえ、御社をもってしても、打開模索の限界はいかんともなし難かったのであろうと、お察し申し上げます。

せめて、『マックス・ヴェーバー研究の現在』が、記念すべき最後の新刊書として、よき星のもと、永く、志ある読者に引き継がれていくことを、祈念するばかりです。きっとそうなります。

小生も今後、敗戦後の一時期を「時流に抗って」生きた志を失うことなく、乏しい成果と圧倒的な「随伴諸結果」との決算・総括は書き遺して、後から「距離をとって接近してくる」世代の批判と未来模索に、せめて一素材は提供しようと、残された時間のかぎり専念したいと思います。2020年の「マックス・ヴェーバー没後100年」までには、「宗教社会学」、できればそれ以外の「連字符社会学」諸篇も、たとえ途中稿であれ、なんとか目鼻をつけたい、と念願しております。御社の企画に発する地下水系が、細々とであれ、脈々と流れつづける光景を、見届け、見守ってください。

なお、本状は、久保井様お二方に向け、創文社の一企画とその一読者との縁と思いを書き綴った私信ですが、ヴェーバー研究あるいは人文・社会科学関係の知友にも、敗戦後思想史・社会科学研究史の一端として読んで欲しいと思う内容を含んでおります。つきまして、中野敏男・水林彪・矢野善郎の三君と、ヴェーバー研究者の何人かにも、メールで送ったうえ、文体を多少一般向けに改め、小生のホーム・ページにも掲載したいと存じます。この点、どうかご了承くださいますよう、お願い申し上げます。

 

それでは、酷暑の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈りいたします。

敬具

 

2016725

折原 浩